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<生ける屍>の表象文化史 ―死霊・骸骨・ゾンビ―
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de 伊藤慎吾
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内容紹介 死霊はどのように描かれてきたのか 日本では死者が骸骨となって墓場で酒宴を開く情景が古くから描かれてきた。 また蘇生・転生することで新たな人生を迎えることがあり、 さらに死後、鬼と化して人間に害をなす存在となることも信じられてきた。 日本において死霊がどのように描かれてきたのかという問題を通史的に示し、 日本人と死生観について、文化的創造の歴史的側面から照射していく。A continuación se muestran algunas de las reseñas de <生ける屍>の表象文化史 ―死霊・骸骨・ゾンビ― más útiles. Es posible que desee considerar esto antes de decidirse a comprar / leer este libro.
“死後の魂”が生前の姿を伴って姿を現すものが「幽霊」だとしたら、“死後の肉体”がそのまま現れるのが「ゾンビ」である。勿論、火葬を主体とする日本では、この“生ける屍”という概念自体が成立しにくい環境にある訳だが、こうした中で、敢えて我が国に於ける“ゾンビ文化”に着目したのが本書。通常このような分野は学術的に論じられる事が少ない中、過去から現代迄の文化(絵画、文芸、芸能、映画、漫画、ライトノヴェルに至るまで)の変遷を丁寧に紐解いた上で、今後の展望までをも視野に入れた著作として、実に読み応えがあった。先ず本書は総論として“死霊”の概念を読み解く所から始まる。本書で一貫して「死霊」という言葉を使うのは他でもない…「お化け」という便利な表現もあるが、そうなると妖怪も含まれてしまう為、敢えて「死霊」に拘っているのだ。(本書は、一部の妖怪も「死霊」である事を認めた上で範疇外としている)即ち、ゾンビを考える上では「死生観」が重要でもあり、この総論で幽霊や妖怪との違い、信仰や葬制についてお浚いしておくと本論を理解する上で大きな助けとなるであろう。本論は大きく分けて「前近代」と「近現代」の二部構成となっている。実の所、私はゾンビは近現代の“外来文化”だと思っていたので、意外な所で我が国にゾンビがいたのに驚いた…それはなんとイザナミである。いや、確かに死後の朽ちかけた姿でイザナギを追い掛けるイザナミはゾンビ以外の何者でもないし、更には日頃から放置された死体を目にする機会が多かった嘗ての日本人にとっては案外「ゾンビ」の概念はすんなり受け入れられるものだったのかもしれない。勿論、世の中の変化や仏教の渡来に依って日本人の「死体に対する態度」も「死生観」も変わり、以後永年に亘って幽霊と妖怪が圧倒的多数を占めるようになるのだが、本書ではそんな日本に於いても“生ける屍”が様々な分野で表現されてきた事を追跡しているので、ここでは日本にもゾンビは存在し得たという事を確認しておこう。そして本書は愈々ゾンビの活躍の場、近現代に突入…ジョージ・ロメロ監督『ゾンビ』を筆頭にアメリカの娯楽文化が日本に齎されると同時にゾンビも来日し、増殖したのである。特に「リング」の貞子や「呪怨」の伽梛子が幽霊よりも寧ろ“ゾンビ性”がある事を指摘しながら、日本に於ける「死霊」の表現の変化を説いている所は圧巻でもあった。但し、本書を読んで実感したのは、ゾンビが今後も日本の文化に根付いていくかどうかと言う問題については未知数であるという事である。勿論、昨今の日本ではハロウィーンの仮装、或いはマイケル・ジャクソンのビデオ「スリラー」やゲームの「バイオハザード」等を通して、その存在は定着しているように思える。然しながら、その一方で、それこそ幽霊が江戸時代に一般大衆に受け入れられたのに比べると、広がりには限界があるように思えてもしまうのだが、どうであろうか。特に、本書では漫画でのゾンビの美少女化に注目して「ゾンビとの共存」と締め括っているが、逆に、こうした傾向に拍車が掛かれば掛かる程、一部のマニア達には支持されるものの、それが受容層を狭める結果にもなるのではないかと思わないでもない。ゾンビがもっと増殖するには大きな課題もあるという事であろう。幽霊話は時代を問わず人気であるし、妖怪文化についても小松和彦氏が提唱した「妖怪学」が徐々に浸透しつつあるが、新参者のゾンビはまだまだ…そんな中でゾンビを敢えて一つの文化として論じた本書の意義は大きく、今後の研究にも期待したいと思う。
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